数々の伝説を残してきた
アントニオ猪木。
もう既に74歳という高齢にも
かかわらず、今回は渦中の
北朝鮮へ向かうという。
もちろん政府としては
止めに入る姿勢だが・・・
猪木が行くと言い出し、
政府が止めに入る。
この構図は、今まで何度も
繰り返されてきている。
猪木氏は北朝鮮へ何度も行っている
北朝鮮への渡航は、20回を軽く超える。
それだけ、猪木にはパイプがあった。
スポーツ平和交流協会という
アントニオ猪木が代表を務める
NPO法人がある。
この法人に、なんと北朝鮮の
平壌に事務所がある、というのだ。
スポーツを通じて、という
大義名分ではあるものの、
北朝鮮とアントニオ猪木には
”縁”がある。
今回の訪朝に関して、
「対話すればなんとかなる」
という内容のコメントを残している。
つまり、現在の状況は理解しているが、
話をすれば解決の糸口が見えるはず、
ということだろう。
しかし、政府としては
たまったものではない。
菅義偉官房長官は、
「全国民に訪朝の自粛を要請するという
政府の方針を踏まえて対応してよ」
と、遠回しに止めに入っている。
今までも幾度となく猪木の訪朝が
伝えられ、政府が止めに入っている。
政府に言われて断念したこともあれば、
無理矢理にでも向かったこともある。
訪朝だけではない、猪木の渦中への訪問
訪朝がクローズアップされるが、
実は今から約27年前に開戦した
湾岸戦争の時にも。
当時のフセイン政権のイラクが、
クウェートへ侵攻を始める。
クウェートにいた日本人41人を
人質としてイラクへ連れ去る。
当時のイラクは今の北朝鮮のように、
日本を含む国連から非難と制裁を
受けていた。
それに対抗するための人質なので、
返してくれと言っても簡単には
返してくれない。
人質交渉は難航していたそのとき、
アントニオ猪木はイラクへ向かった。
当然、外務省は行くなと言った。
しかし、猪木は行った。
そして訪問の翌年、見事に
人質全員が開放された。
下手をすれば猪木自身が
人質になりかねない状況で。
その行動力や解決力は
賞賛された。
アントニオ猪木なら・・・
今回の訪朝がどうなるかは
まだ分からないが、猪木が
向かうとどうなるのか。
今までのイメージでいけば、
事態が好転することに
期待してしまう。
もちろん、楽観視はできない。
北朝鮮へ向かった途端に
人質になることも考えられる。
また、事態を悪化させて
戦争に突入することも
十分に考えられる。
しかし、今の状況の中で
北朝鮮に向かう、という判断を
日本の役人ができるだろうか。
正直、怖くて行けたもんじゃない。
自分の身の危険はもちろんだが、
責任の重大さについてもビビる。
それでも訪朝をするという猪木。
その行動力は、生ける伝説。
「元気があれば、なんでもできる」
の名言を残している。
私個人の座右の銘も、
アントニオ猪木の言葉だ。
「迷ったら、新しい方へ進め」だ。
私自身も多大な影響を受けている。
がんばれ猪木。負けるな猪木。